2018/08/01

Rud. Ley Wood Pegging Machine ④

Rud. Ley Schuhpflockmaschineの中でもこのType KWは単発、連発打ちどちらも可能で
革底を貫通し靴の内側に飛び出した木釘(ウッドペース)の自動カット機能や2列同時打ち機能もあり、とても完成度の高い機械です
もう1台特徴の異なるDavey Pegging Machineも無事に見つけることができ、木釘(ウッドペース)の特徴を生かした新作ブーツとスペアパーツの複製や材料の生産準備を進めています
1910年 ENGINEERING

2002年から十数年時間は掛かってしまいましたが、Karl Merkelbach、Rud. Ley、Daveyの3台はどれも地下室から見つけることができました
特にこのRud.Leyはドレスデン爆撃と呼ばれ3900トンの爆弾が投下されたドレスデンから数十キロのエリアに有りましたが
そんな時に、この機械をドイツ軍のブーツ工場から自宅の地下室まで運んでくれた工場長やそれを今まで保管してくれていたご子息の方々のおかげで完璧なコンディションのまま残っていました

Rud. Ley Wood Pegging Machine ③

今年に入り以前から親交があるAlfred Ley氏の孫Manfred Kaiser氏からコンディションの良い機械がチェコ国境付近の地下で見つかったと連絡が入り
旧東ドイツ、チェコ国境付近のClausnitz(クラウスニッツ)という村まで行き現地で木枠梱包と配送手配をしてくれた彼のおかげで無事Rud. Leyが届きました
1939年製 Rud. Ley Schuhpflockmaschine Type KW
近年ではイタリアの機械メーカーが単発打ちのWood Pegging Machineを製造してましたが、木釘工場の閉鎖により材料の手配がとても難しくなりました
現在、各機械所有者がストックしている材料が無くなり次第技術が途絶えてしまう状況です

Rud. Ley Wood Pegging Machine ④に続く

Rud. Ley Wood Pegging Machine ②

今から十数年前、フィレンツェから車でスロバキアのPartizánske(パルチザンスケ)という町にあるBATA Industrial Parkに向かっている途中に立ち寄ったウィーンにあるLudwig Reiter(ルーディックライター)
そこで偶然Wood Pegging Machineを見る機会があり、貰ってきた靴は2010年7月のブログ内でペース打ち機について触れた時に紹介しました

生産で使うにはスペアを複製する為にブレード、ニードル、ハンマー、ナイフ等、消耗パーツも含め全てのパーツが揃っている機械が必要になります
所在がわかっている機械は100台近くあるようですが年式が古いのでパーツが欠けているか状態の悪いものが多く、良い機械はミュージアムに展示される事もあり条件に合う機械はほぼ無くなってしまいました

昨年フランクフルトに住むご家族からKarl Merkelbach社製の機械を譲って頂きました

1940年製 Karl Merkelbach MERKO Holznagelmaschine

1925年 新聞広告

1927年 Berliner Tageblatt

海外の靴資材サプライヤーからレザーシャンクの固定やウエスタンブーツのような土踏まずを絞った部分に木釘(ウッドペース)を打つ作業に使えるかと問い合わせがあります
正確に真上から打ち込む仕組みになっており、直前に木釘(ウッドペース)を圧縮する機能が付いているので手作業よりも強力に細かく打ち込む事ができます
更にポリエステルの糸でのアウトソールステッチング等と違い、湿気で膨張と収縮を繰り返すレザーソールの動きに合わせて変化するので腐食の原因になる隙間を与えない効果があります
松脂を含ませた麻糸でのステッチにも近い効果はありますが貫通させなければ縫えないステッチングより用途の広い機械です

Rud. Ley Wood Pegging Machine ③に続く

Rud. Ley Wood Pegging Machine ①

ブーツメーカーをスタートした2002年から16年間準備を進めてきた木釘(ウッドペース)でレザーソールを固定するWood Pegging Machineについて

日本では知られる事も無いまま戦争の影響で1947年に会社は閉鎖されていますが、そのシンプルな機能はもちろんデザイン、ピンスト、ロゴなど工業製品として独創的だったメーカーRud. Ley
1885年 Rud. LeyRudolf Ley)は靴のアッパーとアウトソールを止め付けるペース打ち機(Wood Pegging Machine)を製造
1893年 電気工学を学んだAlfred Leyは父親の会社に入社
1901年7月 Rudolf Ley61歳で亡くなる
1903年 Alfred Leyはペース打ち機に加え当時最も先進的な工業製品だった自動車の開発に挑戦する
1905年 Adlerの協力によりエンジンパーツを開発しLoreleyのプロトタイプを完成させる

1906年 Alfred LeyはDürkopp、Adler、Opel、Stoewerらと共にベルリンで開催された自動車展示会で成功を収める
1921年製 Ley's Geräuschlose Type K

1922年 航空機技術者のPaul Jarayの協力により世界初のストリームライン型自動車Ley T6を発表

1923年 Paul Jarayのティアドロップ型のレース車Stromlinien-Wagenを発表

Rud. LeyのWood Pegging Machineは、当時最先端の工業製品だった自動車の分野で世界中に影響を与えたエンジニアが進化させた完成度の高い機械でした
1929年製 Ley's Geräuschlose Type K-1

Alfred LeyRudolf Ley、Villa Ley Arnstadt 、Paul JarayAdolf Hitler stole the idea for the iconic Volkswagen Beetleで調べると詳しく書かれています
1933年 自動車生産中止
1945年 Alfred Ley72歳の時にソ連の将校の指令により連れ去られたまま戻らず
1947年 会社を閉鎖
Alfred Ley氏はドイツ自動車生産技術のパイオニアとして貢献されました
今回このブログ内で使用した資料はAlfred Ley氏の御子孫をはじめ関係者の許可の元使用しております
転載されないようお願い致します

Rud. Ley Wood Pegging Machine ②へ続く